旧職員 栗林達也

 同窓会の皆様方におかれましては益々ご健勝のこととお喜び申し上げます。
 私は昭和49年~55年の6年間、津名高校でお世話になりました。平成32年に100周年を迎える歴史と伝統のある学校にしてみればほんの一瞬に過ぎない期間だったと思いますがその時の経験や考え方が私の教員生活における羅針盤の役割を果たしてくれたことは間違いありません。感謝の意を込めて寄稿させていただくことになりました。
 赴任が内定した春休みに挨拶がてら津名高校へ下見に行かせていただきました。その時の部活動の雰囲気に衝撃を受けました。校庭やグランドで春の日差しを浴びながらまるで体育大学のような爽やかで活気に満ちたエネルギシュさを醸し出していました。その勢いに感動し圧倒されたことをはっきりと記憶しています。次に第二グランドに(現グランド)案内されました。400mのトラックを見渡すと鬼真砂を入れた直後でまだ完全には均されていない状態でした。
 その光景にむしろ新鮮さを覚え不安もありましたが思う存分陸上競技の指導をやらなければと決意させられました。
 余談になりますが当時、兵庫県高校総合体育大会女子の部で総合得点で公立校としては他に類を見ない上位入賞を果たしていました。特に昭和45年準優勝、50年の第三位と野球部の夏の甲子園出場を掛けた決勝で洲本高校に破れはしたものの準優勝はそれぞれ特筆されるべきことでしょう。


 旧体育館(現 関西看護医療大学)に目をやると教官室入口上部壁面に掲げてあった「體育訓」の額の字体や内容には重厚さを感じずにはいられませんでした。その額は現在は現体育館のフロアーに通じる階段の上部に大切に保存掲示されています。「病める者は医師に往け、弱きものは歩け、健康なる者は走れ、強壮なる者は競走せよ」  日比野 寛 というものでした。これは体育・スポーツの指導や実践において大切なことは個々に応じたものでなければならない。同一個人においてもその時の心身の状態に応じたものでなければならないということを唱えています。この考え方は現在も受け継がれているし将来も絶えることなく続くものであると思っています。
 日比野氏は愛知県の第一中学校から第一高校(現 東京大学)へ進みましたが二年生の時に健康を害し苦労したそうです。そのころから健康に関する考え方や実践・指導方法に深く興味を持つようになったそうです。長距離走(マラソン)を日本で初めて学校体育に取り入れたことでも有名で後にマラソン校長と言われた所以です。
 また実践・指導の方法として「抱き鯉理論」という理念を唱えていました。鯉を捕えるには水に入り鯉となり鯉の泳ぎの特性を熟知してこそ初めて鯉を捕えることができる。教育も生徒と場を共にして心をつかみ理解することによって教育効果が上がるという教えです。
 明治32年に国の役人であった日比野氏は授業ボイコットなどで荒れていた母校の立て直しのため校長として就任し自らの教育理念を展開することになりました。校長就任の翌日から毎日テニスコートに立ち始めたそうです。教育理念を実践するうちみるみる学校が正常化して行ったそうです。
 私は、この「體育訓」と「抱き鯉理論」に今までどれほど助けられたか計り知れないものがあります。今年67歳になりますが淡路三原高校で生徒と共に人間的な成長を目標に女子バレーボール部で頑張っております。このようにふたつの理念は今も私のこころにしっかりと根付いており生かされています。
 教師として何もわからない若蔵の頃、津名高校で勤務させていただいたお蔭で日比野寛氏の教育理念に巡り合うことができました。その意味で津名高校は精神的な面(こころの面)での母校と言えます。
 口幅ったい言い方になりますが「體育訓」は個々の健康の保持増進に欠かすことが出来ない考え方だと思います。こころの片隅に置いていただいて実践していただけたら幸いです。



  平成21年 文科省大臣表彰 受賞
  平成23年 兵庫県教育功労賞 受賞  (管理職以外では異例)
   * 部活動指導と生徒指導の両面で評価されての受賞
   * 赴任した学校をすべて(異種目を含むバレー、陸上)
     全国総体に出場させる
   * ビーチバレー18年連続出場継続中、優勝4回 準優勝3回 等