ネパールの小学校訪問  16期生 木長 義昌

 S49年に新婚旅行の時で初めて行った外国、ネパール。
 その後、ずっと行きたいとは思い続けていたが実現できていなかったネパール訪問が、思いがけないきっかけから実現することとなりました。
 職場の先輩が何かネパールに関係しているNPOで、ネパールに行っているとの話を聞いたので、詳しい話を聞かせてもらったところ、HNA-J(HELP NEPAL ASSOCIATION – JAPAN)という、ネパールの僻地に小学校を作ろう、という趣旨で集まった仲間だということで、年に小学校を1校作っているということでした。
 毎年、学校が出来たころに訪問して譲渡式に参加し、その後少し観光旅行をして戻って来ます。
 私も参加させてほしいと話しましたが、現役のころは1週間以上の休暇を取ることは簡単ではなかったので、リタイヤしてから入った方が良い、とのことでした。
 8年前にリタイヤしましたが、ちょうど、母親に介護が必要となり、単身で淡路に帰り母親と住むことになりその話もすこしお預けとなっていましたが、’14年の10月に最初のHNA-Jのネパール訪問に参加して、今年3月23~4月1日、2回目の参加加となりました。
 ネパールでは2年ほど前に大地震があり、カトマンズや周辺で家屋、遺跡の倒壊や、地崩れなどの大きな災害が有りました。
 20年ほどで作ってきた20校すべてが災害で使えなくなってしまい、再建の要請が来ていますが、NPOとしてはそんなにすぐには援助できません。会員の緊急募金や、個人からの寄付金などで年に2校の再建をしようとしていますが、ネパール政府との調整も必要であり、少し遅れています。
 今回は、フルチョキ小学校とチャンドラヤ小学校を訪問しました。
 フルチョキ小学校は未舗装のデコボコ道の狭い急坂を登った所に有ります。日本人が泊まれるホテルからは3時間ほど、4輪駆動車で走らなければなりません。途中でトラックが脱輪していて大渋滞。これでは今日の訪問は中止か、と、思っていたが我々の車は何とかその横をすり抜けられて一安心と思ったら、今度は我々の車の1台が脱輪。後続の車の人や近所の人が集まって来て、みんなで押して助けていただきました。
 やっとのことで、学校に着いたと思ったら、学校は道路から高低差200mほどの“山道”を登らなければなりません。登りは15分ぐらいかったか?
 校舎はまだ手が付けられていませんでした。今は年末試験中で、試験が終了後、校舎を壊して建て直すとのことでした。もう建設中かと思っていたのですが、遅れているとのことでした。
 学校では、会員手作りのバッグに、ノート1冊と鉛筆、飴玉などを入れて手渡します。その時の少学生の素朴な笑顔が会員のNPO活動の原動力になります。満面の喜び素晴らしいです。帰りも急坂の山道を下り、4駆でガタガタ道を帰ります。
 宿に着くと、小学生の笑顔とガタガタ道からの解放感、夕食が盛り上がります。
 2校目のチャンドラヤ小学校は、カトマンズとポカラを結ぶ主要道路に面しています。ここでは、手作りバッグにノート、鉛筆、飴玉を入れて手渡しました。また、皆で遊べるバルーンもプレゼントしました。始めに我々が手本を示して、そのあと、皆で遊んで盛り上がりました。
 学校訪問の後は、ポカラ、ルンビニ観光。
 ルンビニは標高60mほど。インドとの国境に近い亜熱帯の街です。もう真夏、暑かったです。
 ルンビニからカトマンズに向かった時にはヒマラヤが非常にきれいに見えました。良く見えるところでサービス旋回してくれました。普通に飛んでしまうと見えなかった窓の人もヒマラヤの8000m峰を堪能することが出来ました。
 また、異なる僻地の小学校に訪問してみたいです。
 素朴な笑顔、感激でした。
 有難う、ありがとう、・・・。