岐路となった高校時代~東京藝術大学へ

 卒業生の皆さん、こんにちは。47期生の大歳久美子です。

 普通科から音大への進学に驚かれる事もありますが、進路を決めたのは高校時代。今も色褪せぬ青春と、岐路となった出会いについてお話ししたいと思います。

 入学後、やりたい事が見つからないまま、何となく見学に行ったギター・マンドリン部。
 全国大会に向けた合奏練習をしている先輩達は、生き生きと輝き、大人に見えた。
 即入部し、3年連続全国大会出場と県大会優勝もした。
新任の音楽教師、堀川先生の情熱的な指導は今も忘れられないし、目標を持つ大切さを学びました。

 1年生の時、病気をして1ヶ月ほど休学。何の自覚症状もないまま、突然の事だった。
 時間を持て余す病室で、人は簡単に死ぬんだと多感な私は思い、死生観と言うものを持った。授業中、隣のクラスで心臓発作を起こし急逝された先生がいて、学校葬が行われた事も少なからず影響していたかもしれない。
 進路を決めたのはこの時期でした。

 2年生の時には、阪神淡路大震災があった。夜明け後、変わり果てた景色に人間の無力さを感じると共に、当たり前の日常に有り難みを感じながら、非日常生活を送った。

  3年生の時の担任は、転任されてきた小谷加津子先生だった。
 私の進路希望は特殊(国立の音大)だったが、決して否定はせず応援してくれた。大阪や和歌山にレッスンを受けに行く為、学校を早退する事もあったが、理解してくれた。
 それがどんなに有り難く力強かったかわからない。

 全国から精鋭が集まる東京藝術大学には、現役では受からなかったが、無事合格する事ができた。長く孤独な受験を励ましてくれた部の先輩には、今も感謝しています。

 そして、卒業から20数年の今春。
 淡路島内4高校の生徒と、東京から芸大卒のプロ演者が共演する邦楽演奏会が実現。
 特別な経験に目を輝かせる高校生に自分を重ねつつ、再会したのは当時お世話になった宮地先生でした。

 多様な選択肢、よりよい環境と教育、広い世界へと言われる昨今。
 日本中を回る私にとっては、地元の絆・縁という繋りが、言葉で言い表せないほどの根幹であり、時に喜びをもたらしてくれます。20年30年前には想像もできなかったけれど、長い時間を経た出会いに、人生の深みや豊かさ、妙を感じています。

 「自主・誠実・勤勉」
 目標を持ち、諦めずに取り組む事がより高い世界に導いてくれるとは私も実感済みですが、それは他者との絆なしに励み、成しえる事はできないのではないかと思います。
 足元を支えてくれる人、与えられた環境に感謝する事ができれば、きっと未来を切り開く力になる。
 今、故郷に貢献できるような曲を演奏し、喜びを分かち合える仲間がいる幸せに、地元津名高校で良かったと心底思います。

後輩、若者達へ。
 ごく普通の私にも夢を引き寄せる事ができました。
大切な自分の人生への努力を、夢を、簡単に諦めず頑張ってほしいと思います。

淡路神話 くにうみ