須摩に一人の少年が住んでいました。
毎日毎日淡路島を眺めておりました。
夜も昼も。
その少年が二十歳ごろこんな優しい詩を書きました。
―大正末期か昭和の初期と思われます-
ひとつの灯
まずしい夜なべか
寄りあいか
それとも急の病人か
消えようともせぬ一つの灯り
最後の灯り
・・・おやすみ 淡路島
僕はもうカーテンを引く
きみの ただ一つの
意味ふかい灯りを
大切げに
ネルの寝巻のふところに入れて・・・
三十年後この少年は淡路島の高校の校歌を作詞しました。
そう、この少年が我が校歌の作詞者竹中 郁です。
竹中 郁に校歌の作詞を頼んだのは故隅田先生とのご縁でした。しかし、この詩人は単なる詩人ではなく淡路島に特別の想いを持つ詩人でした。実に校歌作詞を依頼するのにぴったりの詩人でした。我々津名高関係者はこの幸運に感謝いたしましょう。
筆者は昨年この「一つの灯」と言う詩に偶然巡り合いました。そのいきさつについては後日「詩人竹中郁が淡路島に寄せていた思い」で発表します。
(文責 16回生 岡内とどむ)