近況報告

私の「夢」

旧職員 12回卒 小川 元延

 高校の音楽教師になりたい「夢」をもった18歳の私が、津名高等学校に入学した。在学中に「混声四部合唱」と「マンドリンクラブ」を創部した。
 高校の音楽教師になりたいという「夢」は叶えられ、昭和47年に母校に赴任した。以来、22年間勤めたが、「夢」は次々と増え、また、叶えられていった。
 「マンドリンクラブ」の黄金時代を築き全国コンクールで上位三位以内の成績を三年続けた。創立60周年を記念して「チェンバロ」を自作。神秘的な楽器「ヴァイオリン」を作るために《工房》を設け製作するが、これが「淡路フィルハーモニー管弦楽団」の設立(平成元年)に繋がった。
 昭和61年には、4年間の研究と作業した結晶である「パイプオルガン」が出来上がり音楽室に設置した。全国に報道され、関連の音楽会を数度開催したことが、私にとっては快挙であった。
 同時代に、津名町の柏木和三郎氏の強力な推進力で音楽専用ホール「しづかホール」が完成。実現のために貢献をしたつもりである。さらに、津名高創立70周年記念モニュメントとして「カリヨン」の建設がある。私の小さな「夢」の小箱に入っていたアイデアが同窓会長の三津啓祐氏を筆頭にして同窓会によって造られた。全国の公立校には例のないことで、現津名高校のシンボルになっている。
 その後、転勤があり、そして大病を患ったが定年退職した。退職後も後遺症に悩まされながらも「淡路フィル」の団長として、また、チェロ奏者として細々ながら音楽活動を続けていましたが「老い」には勝てず引退した。ところが、2年前(平成27年)に創立記念日を記念して音楽室で小コンサートを開いてはどうかと声がかかった。快諾した。
 マンドリンと久振りに活動できるパイプオルガンをコラボした曲が中心で意義のある楽しいコンサートなので、久しぶりに燃えた。投薬の加減で8・9月は入院。でも退院後には毎日のように出勤?オルガンの修理とマンドリン合奏練習の指導などして10月9日その日を迎えた。
 聴衆は100人程しか入られないので生徒を優先して一般にはお知らせをしていなかったが、元同窓会長の三津啓祐氏や阪神支部長の小久保澄夫夫妻。当日記念講演をされた18回卒の河原京子さんと級友などが参加して下さった。
 コンサートは大成功で、感動!感動!でありました。演奏した者も聴衆もみんなの顔が輝いた。
 私は、今現在は趣味の木工細工に忙しい日々をおくっています。また「夢」が生まれた。「作品展」を開きたい・・・そしてもう一つの「夢」があります。今年の創立記念日に再び小コンサートを開くことです。津名高の名物「カリヨン」が故障のために鳴っていませんでした。それが、今年大修理がおこなわれることになりました。その披露を兼ねて記念コンサートをおこないたいと思います。

「同窓会 オリンピックが 合言葉」