高19回生 木高 恵子

津名高校同窓会の皆様へ

近況報告

 私は1972年度卒業生の木高恵子と申します。18歳の春に甲子園フェリーに乗ってこの島を出てから50有余年。流れ流れて、またこの美しい島に戻ってきました。フェリーで2時間もかかっていた海上の道のりは何とバスで4~5分ほどで本土と行き来できるようになりました。東の海から昇る朝日は神々しく、西に沈む夕日も辺りの山と空を真っ赤に染めて自然にしか演出できないほどに劇的です。道端に咲いている草花は雑草とは言えないほど可憐で愛らしく見とれるほどです。自然の美しさは昔のままに、便利さは各段にパワーアップしましたね。28号線から見上げる津名高校の校舎はおとぎの国のお城のようです。

道ばたに咲く可憐な花

 さて、今回近況報告をさせていただくことになったきっかけは、去年私が翻訳をして出版された『タコの精神生活』の書評を、門前市長が書いてくださった(下記)ことです。その節はお忙しいところ本当にありがとうございました。淡路島に帰ってきてから、念願だった出版翻訳の仕事をさせていただいています。昔から本を読むことが大好きで、英語にも興味があり、年とともにこの2つの「好き」を合体した仕事は翻訳であると考え、どうすれば翻訳家になれるかを考えました。当時はまだパソコンも一般的ではなく、本や翻訳教室の情報によると、翻訳家になるには次の2つの方法がありました。

  • 翻訳家の弟子になる。身の回りの世話をしたり、資料集め、下訳をして翻訳家の先生に出版社に推薦してもらう。
  • 出版社が主催する新人翻訳者対象のコンテストに入賞する。

 1番の弟子になるというのが当時の王道だったのですが、あこがれの翻訳家はほとんど東京に住んでおられたし、私が翻訳家を志したときは年齢も高かったので、この方法は非現実的でした。2番のコンテストで入賞、これしかないと思い何度もトライしました。しかしまったく歯が立たず、入賞した人の名前には有名な翻訳家の娘さんなどもいて、私には遠い道のりに思えました。そして翻訳学校に行くにしてもお金がかかります。まずは働かなければならず、翻訳から離れざるを得ない年月もありました。

 大阪にはある有名な通訳者、翻訳者養成機関があって、ここを卒業した人はほとんどプロになっているとのことでした。翻訳コースに入るには、最低でも英検1級、TOEIC900点以上が必要です。そしていざ、入学してみると、先生のご指導は「そんなことも知らないの」といった冷たいあしらいで、どんなにすばらしい答えを出しても、決して褒められることはありません。英語が得意だからと入学してきた生徒は腹を立てて辞めていきました。何とかがんばっていても、なかなか卒業することができません。ようやく卒業の許可が出ると、東京の同グループ会社からも仕事の依頼がきました。しかし仕事内容は産業翻訳で、私の目標としている出版翻訳ではありません。この頃にはパソコンが普及していたので、様相は大きく変わっていました。

 オンラインの翻訳オーディションを開催している「トランネット」という会社があるので登録して、オーディションに応募しました。けれども何度応募しても、「上位5人に選ばれました!」というような返事はいただくものの、1位になってめでたく翻訳者になることはありませんでした。その頃には、もうこの世では夢は叶わないのだから、せめて来世のために勉強しておこうという気になっていました。次に生まれてきたときにはかっこいいキャリアウーマンになりたいものだと思いました。

 そして淡路島に帰ってきました。淡路島に帰ってきて最初のお正月に伊弉諾さんにお参りし、翻訳家になれるようにとお願いしました。その約1カ月後に「翻訳者として選ばれました!というメールが届きました。伊弉諾さんには何かのパワーがあるのでしょうか? 最初の翻訳書は『ビーバー 世界を救う可愛すぎる生物』、2冊目は『人間がいなくなった後の自然』、3冊目は『タコの精神生活』と、順調に翻訳書を出すことができています。4冊目のお仕事もいただくことができたのでそのうちにお披露目できると思います。

既訳書:
『ビーバー: 世界を救う可愛いすぎる生物』2022年
『人間がいなくなった後の自然』2023年
『タコの精神生活: 知られざる心と生態』2024年

2025年6月

書評:『タコの精神生活 知られざる心と生態』
門 康彦(こちらをクリック)